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安田登氏によると、「四十にして惑わず」の「惑」は昔は「域」と同じく「区切る、制限する」という意味で、つまり「四十になったら自分を制限するな」というのが本来の意味ではないかと推測し、内田樹氏もそのほうが次の「五十にして天命を知る」のつながりが良いと賛同している。
OL男子の4コマ書評 : 内田樹氏×安田登氏の論語新説「四十歳になったらむしろ迷え」と論語4コマ化のためのメモ
自分がこれを聞いて連想(妄想)したのは、昔の40歳というのは親を亡くす年頃なのではないかということ。
親を亡くす頃、自分を制限しない生き方ができるようになるのではないかということ。
儒教で親への「孝」が重視されていることを考えると、「孝」から解き放たれた反動として、そういうことも起こっておかしくないんじゃなかろうか。